
江戸時代(1603-1868年)は約260年以上続いた徳川幕府による政権でしたが、その歴史の中で特に重要な政治改革が「三大改革」と呼ばれる一連の政策です。三大改革とは、享保の改革、寛政の改革、天保の改革を指し、これらはいずれも幕府の財政難や社会不安などの問題に対応するために実施された大規模な政治・経済改革でした。
一方、三大改革には含まれないものの、重要な政治的転換期として知られるのが田沼意次の政治です。田沼意次は、三大改革とは異なるアプローチで幕府の問題解決を図った人物として歴史に名を残しています。
この記事では、江戸時代の三大改革と田沼政治の内容、それぞれの違い、そして効果的な覚え方まで徹底解説します。受験勉強やビジネスパーソンの教養としても役立つ内容となっていますので、ぜひ最後までお読みください。
- 享保・寛政・天保それぞれの改革の背景と目的の違い
- 田沼意次の経歴と田沼政治の背景
- 政策内容における農政や倹約施策の違い
- 改革による社会への影響や評価の違い
江戸時代の三大改革(享保・寛政・天保)と田沼政治の違いをわかりやすく解説

享保の改革(1716-1745年)
背景と目的
享保の改革は、徳川幕府8代将軍・徳川吉宗によって実施された一連の政治改革です。18世紀初頭の江戸時代中期、農業の生産性向上により米の収穫量が増加する一方で米価は下落し、年貢米に依存していた幕府や武士の収入が激減するという経済的危機が発生していました。また、貧困に起因する一揆の発生も多く見られ、幕府の権威も揺らぎつつありました。
こうした状況を受けて、徳川吉宗は幕府財政の再建と政治制度の刷新を目指し、享保の改革に着手しました。
主な政策内容
1. 人事・組織改革
- 足高の制:家禄が低い者でも能力があれば高官に登用し、不足分の家禄を補填する制度
- 諸事権現様御掟の通り:家康の時代の制度に戻す方針を宣言
- 人材の有効活用:優秀な人材を身分に関わらず登用
2. 財政再建策
- 上米の制:大名に対して1万石につき100石の米の上納を義務付け
- 参勤交代期間の短縮:大名が江戸に滞在する期間を1年から半年に短縮することをを認めた。負担軽減
- 倹約令:幕府主導での質素倹約の実施、無駄な支出の削減
3. 農業振興・税制改革
- 新田開発の奨励:商人に資金を出させて新田開発を促進
- 定免法の導入:数年分の収穫量の平均に基づく安定的な税率設定
- 検地の実施:土地面積の再調査による税収の確保
4. 社会政策
- 目安箱の設置:民衆の意見や訴えを直接吉宗に届ける制度
- 公事方御定書の制定:法律や裁判の基準を明確化
- 小石川養生所の設立:貧しい人々のための医療施設
成果と限界
-
成果
- 幕府財政の一時的な改善
- 行政組織の効率化と人材の有効活用
- 新田開発による農業生産の拡大
- 民衆の声を政治に反映させる制度の整備
-
限界
- 農民への負担増加による各地での一揆の発生
- 基本的に農本主義に依存しており、商工業への対応が不十分
- 抜本的な経済構造改革には至らなかった
享保の改革は、江戸時代の三大改革の中で最も長期間にわたって実施され、行政組織から経済、社会政策まで幅広い分野での改革を試みた点が特徴です。しかし、基本的に農本主義に基づく経済観を脱却できず、後に商業経済の発展に対応できないという課題を残しました。
田沼意次の政治(1772-1786年)
背景と経歴
田沼意次は、徳川幕府10代将軍・徳川家治の時代に老中として政権を主導した人物です。彼は16歳で徳川家重(後の9代将軍)の小姓として仕え始め、家重の治世下である宝暦8年(1758年)に1万石の大名に取り立てられました。
田沼意次が活躍した時代は、享保の改革後、農村の疲弊が進む一方で、都市部では商業が発展し、貨幣経済が浸透していました。こうした経済構造の変化に対応するため、田沼意次は従来の農本主義とは異なる商業重視の政策を展開しました。
主な政策内容
1. 重商主義政策
- 株仲間の奨励:同業者組合を公認し、独占権を与える代わりに運上金(税)を徴収
- 南鐐二朱銀の鋳造:東日本の金貨と西日本の銀貨の両方で使える貨幣の発行
- 幕府財政の立て直し:商人や都市住民からの課税強化による幕府収入の拡大
2. インフラ開発と事業
- 蝦夷地(北海道)開発:ロシアの南下に備え、北方領土の調査と開発
- 印旛沼の干拓事業:大規模な干拓工事による農地拡大と水運の整備
- 水路建設計画:17kmに及ぶ水路建設計画の推進
3. 外交政策
- ロシアとの交易の模索:蝦夷地調査などを通じて北方に関心を寄せ、ロシアとの交易の可能性を探ったが、幕府の対外政策を転換するには至らなかった。
特徴と評価
田沼意次の政治の特徴は、江戸時代の三大改革と異なり、商業振興と経済発展を重視した点にあります。彼は幕府財政の立て直しのために、商人からの税収を増やす政策を積極的に進め、現代的な視点から見れば先進的な経済政策を導入していたと評価できます。
しかし、その後の歴史では「賄賂政治家」というネガティブなイメージで語られることも多く、実際に大規模な収賄があったかについては議論が分かれています。また、彼の政策のもとで1783年の浅間山大噴火をはじめとする一連の天災が発生し、社会不安が高まったことも彼の失脚につながりました。
成果と限界
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成果
- 商工業の発展と経済活性化
- 幕府財政の一時的な改善
- 大規模インフラ事業の推進
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限界
- 「賄賂政治」というイメージの定着
- 天災による社会不安の高まり
- 富裕層と貧困層の格差拡大
田沼意次の政治は、時代の変化を先取りした革新的な側面がある一方で、従来の武士社会の価値観との軋轢や、格差拡大などの問題も引き起こしました。その後の寛政の改革で、田沼政治とは対照的な方向性が打ち出されることになります。
寛政の改革(1787-1793年)
背景と目的
寛政の改革は、老中・松平定信(徳川吉宗の孫)によって1787年(天明7年)から1793年(寛政5年)にかけて行われた政治改革です。この改革の背景には、1782年から1787年に発生した「天明の大飢饉」があります。この飢饉では全国で数十万人が餓死し、江戸など30以上の都市で打ちこわしが発生するなど、社会不安が頂点に達していました。
こうした状況の中、田沼意次が失脚し、松平定信が老中に就任。彼は祖父・徳川吉宗の政策を参考にしながら、飢饉対策と社会秩序の回復を主な目的とした改革を実施しました。
主な政策内容
1. 飢饉対策・食料確保
- 囲米制度:各地の大名に対し、領地1万石につき50石の米を5年間備蓄するよう命令
- 七分積金:都市部での積立金制度(町入用の7割を積み立て、災害・飢饉時の救済に充当)
- 義倉・社倉の建設:各地での米の備蓄倉庫の整備
2. 農村復興策
- 東北・北関東から江戸への出稼ぎ禁止:農村の労働力流出防止
- 間引き(嬰児殺し)の禁止と乳幼児の養育金制度の整備
- 大規模公金貸付:荒れた土地の再開発や農業用水の整備支援
3. 都市対策
- 旧里帰農令:都市流浪者に農村への帰還を促す政策(旅費と補助金支給)
- 人足寄場の設置:江戸・石川島での職業訓練施設の運営
- 倹約令:大奥経費の3分の2カット、朝廷への倹約要請
4. 文化・思想統制
- 寛政異学の禁:朱子学以外の学問を禁止
- 黄表紙や洒落本などの出版禁止
- 華美な風俗への弾圧
成果と限界
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成果
- 次の飢饉に備えた備蓄制度の整備
- 農村の復興と食料生産基盤の強化
- 社会的弱者への救済策の実施
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限界
- 商業経済の発展を阻害
- 文化・思想統制による民衆の反感
- 借金免除政策(棄捐令)による金融混乱
寛政の改革は、飢饉という危機に対して備蓄や救済制度を整備するなど社会政策面で一定の成果を上げましたが、田沼時代に発展し始めていた商業経済に対する規制や文化統制によって、庶民の活力を削いだ側面もあります。わずか6年で松平定信は老中を退任し、改革は終了しました。
天保の改革(1841-1843年)
背景と目的
天保の改革は、江戸幕府12代将軍・徳川家慶の時代に、老中・水野忠邦によって1841年(天保12年)から1843年(天保14年)にかけて実施された幕政改革です。この改革の背景には、1833年から1837年にかけて発生した「天保の飢饉」があり、この飢饉を契機に1837年には大坂で大塩平八郎の乱が起きるなど社会不安が高まっていました。
さらに、アヘン戦争(1840-1842年)の影響で外国船の来航が増加する中、幕府は財政難と国内秩序の維持、外国への対応という多重の課題に直面していました。水野忠邦はこうした危機的状況に対処するため、極端な倹約と強権的な政策によって幕府の立て直しを図りました。
主な政策内容
1. 徹底的な贅沢取締り
- 贅沢品を販売する店舗への厳しい処罰(1842年2月だけで26軒処罰)
- 江戸の寄席を500軒以上から15軒に減らし、演目も講釈や心学講話など教訓的な内容を奨励
- 歌舞伎小屋の浅草への強制移転
2. 経済対策
- 株仲間の解散(1841年):同業者組合を解散させ、自由競争を促進
- 職人と商人への強制的な値下げ命令:物価高騰を抑えるための措置
- 物価統制令の発令
3. 農村・人口対策
- 人返しの法:都市に流出した農民を農村に強制帰還させる政策
- 地方から都市への出稼ぎ禁止
- 土地面積や収穫量の調査による年貢引き上げ
4. 外国船対策・海防
- 当初は外国船追放方針から、1842年に薪水給与令(外国船に薪と水を与えて退去させる)へ方針転換
- 西洋式砲術の導入
- 上知令(1843年):江戸・大坂周辺の十里四方を幕領とする命令(後に撤回)
成果と限界
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成果
- 一時的な物価安定の試み
- 外国船への対応策の確立
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限界
- 極端な規制による流通混乱(株仲間解散後の物価上昇)
- 庶民からの激しい反発(水野忠邦失脚時の暴動)
- 大名からの反発による政策撤回(上知令の失敗)
天保の改革は三大改革の中で最も短命であり、わずか2年で水野忠邦は老中を罷免されました。過度な締め付けと現実離れした政策が、庶民だけでなく大名からも強い反発を招き、多くの政策が失敗に終わりました。株仲間も10年後の1851年に復活するなど、政策の持続性も課題でした。
江戸時代の三大改革(享保・寛政・天保)と田沼政治の違いを比較

四つの政治改革の比較
ここでは、享保の改革、田沼意次の政治、寛政の改革、天保の改革の4つを様々な観点から比較してみましょう。
基本情報の比較
改革名 | 時期 | 実施者 | 将軍 | 基本方針 |
---|---|---|---|---|
享保の改革 | 1716-1745年 | 徳川吉宗 | 徳川吉宗(8代) | 質素倹約・農本主義 |
田沼の政治 | 1772-1786年 | 田沼意次(老中) | 徳川家治(10代) | 重商主義・商業振興 |
寛政の改革 | 1787-1793年 | 松平定信(老中) | 徳川家斉(11代) | 厳しい質素倹約・農本主義回帰 |
天保の改革 | 1841-1843年 | 水野忠邦(老中) | 徳川家慶(12代) | 極端な質素倹約・統制強化 |
時代背景と目的の比較
改革名 | 時代背景 | 主な目的 |
---|---|---|
享保の改革 | 米価下落、武士収入減少 | 幕府財政再建、行政組織刷新 |
田沼の政治 | 商業発展、都市経済成長 | 商工業振興による財政拡大 |
寛政の改革 | 天明の大飢饉、打ちこわし多発 | 飢饉対策、社会不安鎮静 |
天保の改革 | 天保の飢饉、大塩平八郎の乱、アヘン戦争 | 物価安定、外国船対応、社会秩序回復 |
主要政策の比較
改革名 | 経済政策 | 農業・農村政策 | 社会・文化政策 |
---|---|---|---|
享保の改革 | 上米の制、物価引き下げ令 | 新田開発、定免法導入 | 目安箱設置、小石川養生所設立 |
田沼の政治 | 株仲間奨励、南鐐二朱銀鋳造 | 印旛沼干拓、蝦夷地開発 | ロシアとの通商交渉 |
寛政の改革 | 棄捐令(借金免除)、倹約令 | 囲米制度、出稼ぎ禁止 | 旧里帰農令、人足寄場、寛政異学の禁 |
天保の改革 | 株仲間解散、物価強制引き下げ | 人返しの法、年貢引き上げ | 贅沢品取締り、寄席・歌舞伎規制 |
成果と限界の比較
改革名 | 主な成果 | 主な限界・問題点 |
---|---|---|
享保の改革 | 財政改善、行政効率化 | 農民負担増加による一揆、商工業対応の不足 |
田沼の政治 | 商工業発展、経済活性化 | 贈賄イメージ、格差拡大、天災による失脚 |
寛政の改革 | 飢饉対策制度の整備、農村復興 | 商業規制、文化統制による民衆反感 |
天保の改革 | (限定的) | 流通混乱、強い民衆反発、政策の早期撤回 |
四つの政治改革の相違点
- 経済政策の方向性
- 享保・寛政・天保の改革は基本的に「質素倹約」「支出削減」を重視
- 田沼政治のみ「商業振興」「収入拡大」を重視
- 政策の担い手
- 享保の改革のみ将軍自らが主導
- 他の3つは老中が主導(松平定信は吉宗の孫)
- 改革の持続性
- 享保の改革が最も長期(約30年)
- 天保の改革が最も短期(約2年)
- 改革後の評価
- 享保の改革は比較的高評価
- 田沼政治は「賄賂政治」という否定的な評価が長く定着していたが、近年では先進的な経済政策や外交などについて再評価
- 寛政の改革は飢饉対策に一定の評価
- 天保の改革は多くの政策が頓挫し低評価
江戸時代の改革の覚え方と語呂合わせ
江戸時代の三大改革と田沼政治は、年号や人物、内容など覚えることが多いため、効果的な暗記法を紹介します。
年号と人物の語呂合わせ
享保の改革(1716年~)
『1716(いーな!ヒーロー) 吉宗(よし!胸はって) 享保(競歩)!』
田沼意次の政治(1772年~)
『田沼(田んぼ用の沼の工事進んでる?) 1772(否?ナニー!?)』
寛政の改革(1787年~)
『1787(いーな!花) 松平(真っ平にして) 寛政(完成)!』
天保の改革(1841年~)
『1841(いーわ!良いテンポで) 水野(水を配る)』
政策内容の覚え方
三大改革と田沼政治の特徴を対比して覚えるのが効果的です。特に以下の点に注目しましょう。
基本方針の対比
- 田沼意次のみ「商業奨励」
- 他の三大改革はすべて「質素倹約」
政策の対比
- 享保:上米の制(大名から米を集める)
- 田沼:株仲間奨励(商人から税を取る)
- 寛政:囲米の制(米を備蓄させる)
- 天保:株仲間解散(自由競争で物価下げ)
成果の対比
- 享保:幕府財政改善に一定の成功
- 田沼:経済活性化に成功するも天災で失脚
- 寛政:飢饉対策に成功するも商業を抑制
- 天保:多くの政策が失敗し短命に終わる
効果的な学習法
- 比較表を作成する:四つの改革を横に並べて比較表を作成し、共通点と相違点を視覚的に整理する
- 自己テストを繰り返す:以下の質問に自分で答えてみて、正確に答えられるようになるまで繰り返す
- 各改革の実施年と実施者は?
- 各改革の主な政策3つは?
- 各改革の成果と限界は?
- ストーリーで理解する:単なる暗記ではなく、時代背景と因果関係を含めたストーリーとして理解する
- 例:「米価下落→吉宗の改革→商業発展→田沼の商業重視→天明の飢饉→松平の飢饉対策→天保の飢饉→水野の極端な改革→幕末へ」
享保の改革・寛政の改革・天保の改革・田沼政治の違い|要点まとめ
この記事全体の要点を以下にまとめます
- 享保・寛政・天保の改革はいずれも農本主義と質素倹約を基本方針とする
- 田沼政治のみ商業振興と貨幣経済の活用を重視した
- 享保の改革は将軍吉宗自らが主導し最も長期間実施された
- 寛政・天保・田沼の改革は老中によって主導された政権運営である
- 享保の改革では新田開発と定免法による税制安定が特徴
- 田沼政治は株仲間や貨幣鋳造など重商主義的政策を展開した
- 寛政の改革は飢饉対策と農村復興に重点を置いた社会政策中心の改革である
- 天保の改革は物価統制と人返しの法など強権的な措置が目立った
- 享保では目安箱や小石川養生所など民衆向け施策も導入された
- 田沼時代はロシアとの交易模索や蝦夷地開発など外交にも関心を示した
- 寛政の改革では朱子学以外を禁止する思想統制が実施された
- 天保の改革では上知令や株仲間解散など多くの政策が短期で頓挫した
- 田沼政治は汚職の印象が強かったが近年では経済政策が再評価されている
- 寛政と天保の改革はいずれも飢饉と社会不安を契機に行われた
- 改革の成果としては享保が比較的安定した評価を受けている